2017年10月23日月曜日

恵みが満ちている──安曇野

2017.9.30【長野県】──安曇野

 高原の朝はもう寒いためエアコンを入れましたが、部屋や廊下のセントラルヒーティング設備からスキー宿を想起し、暖房を囲み車座になった記憶がよみがえります。



 なぜこの地に国営公園かと思うも、山から扇状地を下る水の勢いを目にすると、斜面の流れを生かした公園というのはこの地域にしかできないと納得させられます。
 この日は土曜日+サービスデー(入園無料)で次々と駐車場が埋まる様子から、自然に恵まれた地域とはいえ、子どもたちを遊ばせる広い公園が少ない状況が見て取れます。
 公園開設は、衆議院議員の提案を竹下 登(当時 自民党幹事長)が後押ししたらしい(2004年開園)。お金はかかっても笑顔の子どもたちが走り回る姿を目にすれば、風当たりも弱まるのではないか(採算性は別問題)。





 八面大王は安曇野に伝わる伝説上の人物で、平安時代の征夷大将軍 坂上田村麻呂に退治されたと伝わるが、悪者だとしたら人をもてなす足湯の顔にはなれないはず。
 田村麻呂が東方遠征途上で農民に食料などの提供を強いたため、見かねた八面大王が遠征軍に立ち向かったと語り継がれる、伝説のヒーローのようです。

 付近には安曇野アートラインとされるルートがあり、周辺にはあきれる数の美術館等施設が集まります。
 右は、ジャンセン美術館併設のそばcafe(現在ギャラリー+カフェ)で、デートで立ち寄れば女性はよろこびそうなたたずまいながら、若い時分は「ガラじゃない」などと、敬遠していたようにも。

 長野で最初の食事は山菜そばで、飾らない素材のおいしさに「都会人の食の貧しさ」を思い知らされました。
 高原で育った元気なそばや野菜をその土地でいただくのですから、これ以上の豊かさはありません。
 右は、教会のような建物(に見えない写真でスミマセン…)の碌山(ろくざん)美術館。彫刻家 荻原碌山(守衛)の個人美術館で国の登録有形文化財とされ、ひと息ついて落ち着ける施設(1958年開館)。
 作品は以前目にした気もする、この作家の線の太さ・力強さに好感を抱きました。

 隣接の穂高東中学校(←ホームページに校長先生の文章が並んでは生徒も読む気しないよね)では学校祭が開かれ、にぎやかな雰囲気が伝わってきます。
 立派な校舎で、自治体の財政も豊かそうな印象。



 ここが本宮とされ、上高地に奥宮奥穂高岳山頂に嶺宮があり、北アルプスでなく「日本アルプスの総鎮守」とされるのは、日本アルプスの父 ウェストン氏への敬意か(日本アルプスの名称由来は場所により諸説ある)。
 毎年9月27日に行われる例大祭「御船祭:おふねまつり」直後のため、船の骨組みが残されます(右)。
 福岡県志賀島周辺に暮らした古代日本の氏族で海神(海人族:かいじんぞく)の阿曇氏がこの地に定住し、663年白村江(百済:くだら)の戦いで戦死した安曇連比羅夫(あずみ の ひらふ:外交官兼武将)命日に行われる祭事で、御船をぶつけ合う勇壮な祭とのこと(見たかった)。




 大王とは当然「八面大王」のことで、住民を守り倒れた大王を祭る大王神社が洪水で流されたため、農場内の高台に移設されます。
 わさびは日本原産の香辛料のため外国人旅行客の関心が高いようで、様々な国の方々が「Wasabi」→「Wabi Sabi ?」などと(?)足を運ぶ観光名所。
 日本人でも本わさびを食する機会は限られているので、香りを楽しめる「本わさびソフトクリーム」、ツーンと強烈な辛さもすぐおさまりクセになる「本わさび丼」を食べましたが、なるほどしっかり記憶に残りそうと。


 上・右は、1989年黒澤 明監督の映画『』の舞台とされた地ですが、おそらく当時から変わったのは、人工物の水車小屋が老朽化したくらいではないか(1基修理中)。
 山からの清冽な伏流水(地下水)が湧き出す地を開拓したわさび農場付近には、生き物を育む恵みが満ちているように感じます。
 寒さと雪を我慢できれば、人が暮らすには最適な環境と思え(わたしは無理…)、自然の恵みを分けてもらう意識を持つことから、長野県民の実直な人間性が育まれるようにも。




 付近の棚田は平安時代から観月の名所とされ、今和歌集や松尾芭蕉の俳句にも詠まれたように、棚田一枚ごとに映る月の美しさから「田毎の月」として知られます。傾斜地ながらもかつては湧水を利用したが、現在はため池(大池)と千曲川の水を汲み上げるそう。
 字面から小説・映画『楢山節考』を想起するも、原作(深沢七郎)は山梨県を舞台に描かれたもの。姥捨のルーツは「インド仏教、中国儒教で、親子の愛や人生の輪廻、老人の知恵への崇敬として説かれた」と、高速道SAの説明板にあります。
 収穫期こそハッピーな季節ですが、ロケーションは田植えの季節がベストのようです。


 今回の、長野・安曇野(千曲川を歩く)はこれで終了です。
 今回歩いた千曲川支流は山に近いため、川幅は狭くても多量の水がとうとうと流れる様から、奔流の印象が残ります。
 水に恵まれるも、厳しい冬に備える住民に領地争いするヒマはありませんから、川中島の戦いも季節(農作業繁忙期)や気候条件(積雪)にはばまれ、ドローやむなしとした両軍の将の領民に対する思いが、後世に語り継がれる理由ではないかと……

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