今年の夏休みは引っ越しの準備で消化してしまい、半端な日数で回れそうな長野・安曇野周辺に足を運びました。
東京駅新幹線ホーム
2015年開通の北陸新幹線「かがやき」で長野へ向かいます(上)。
1991年東北・上越新幹線が東京駅に乗り入れてからこのホームを利用するのは初めてで(記憶にあるのは上野駅)、路線別の車体やデザインは、各地方のシンボル差別化を目指すかのように。2020年運用終了予定の2階建て車両MAXの大きさに驚いた。
東京、大宮の次が長野(約1時間半)の速さに加え(比較対象の新宿〜松本間 スーパーあずさは約2時間半)、新しい車両は快適で「ウフフ!」(リンク先YouTube)です。
長野駅改札前には、1998年冬季長野オリンピックの垂れ幕が飾られており、「あれから20年?」が今回の第一印象。
1991年東北・上越新幹線が東京駅に乗り入れてからこのホームを利用するのは初めてで(記憶にあるのは上野駅)、路線別の車体やデザインは、各地方のシンボル差別化を目指すかのように。2020年運用終了予定の2階建て車両MAXの大きさに驚いた。
東京、大宮の次が長野(約1時間半)の速さに加え(比較対象の新宿〜松本間 スーパーあずさは約2時間半)、新しい車両は快適で「ウフフ!」(リンク先YouTube)です。
長野駅改札前には、1998年冬季長野オリンピックの垂れ幕が飾られており、「あれから20年?」が今回の第一印象。
岩松院(長野県小布施町)
江戸期の画家 葛飾北斎は晩年、小布施の豪商 高井鴻山(こうざん)の誘いを受け、岩松院の天井絵「八方睨み鳳凰図」等を残します。先日NHKの歴史秘話ヒストリアで、娘 お栄との共作と紹介された(ドラマ 眩(くらら)~北斎の娘 も放映)鳳凰の眼にみなぎる生命力に圧倒されます。
裏庭の池はアズマヒキガエルの繁殖地で、小林一茶が「痩せかえる 負けるな一茶 これにあり」(メスを巡る争いで、やせガエルを応援する自分)を詠んだとされる。
北斎の作品を展示する北斎館付近では、マンホールもグレート・ウェーブです(下)。
裏庭の池はアズマヒキガエルの繁殖地で、小林一茶が「痩せかえる 負けるな一茶 これにあり」(メスを巡る争いで、やせガエルを応援する自分)を詠んだとされる。
北斎の作品を展示する北斎館付近では、マンホールもグレート・ウェーブです(下)。
造り酒屋
付近に複数鎮座する立派な酒蔵は、地主に納められた米・穀物の余剰分を加工販売したことに始まり、味噌や醤油にも手を広げ、富を生み文化をもたらしました。
そんな余裕からか、敷地内を「ご自由にお通り下さい」がステータスらしく、すれ違えない軒下の路地を遠慮なく歩けるのは一興。
付近では栗が有名らしく、和・洋菓子店の紋には栗を配した図柄がいくつも見られます。普段は食べようと思わないが、季節柄「栗おこわむすび」をおいしくいただきました。これも地主が始めた商売らしく、町を豊かにする使命を果たしたと言えそうです。下は旧酒蔵の壁。
そんな余裕からか、敷地内を「ご自由にお通り下さい」がステータスらしく、すれ違えない軒下の路地を遠慮なく歩けるのは一興。
付近では栗が有名らしく、和・洋菓子店の紋には栗を配した図柄がいくつも見られます。普段は食べようと思わないが、季節柄「栗おこわむすび」をおいしくいただきました。これも地主が始めた商売らしく、町を豊かにする使命を果たしたと言えそうです。下は旧酒蔵の壁。
長野に戻る道すがら目にし「エムウェ〜ブ!」と声を上げ、清水宏保(鳥肌モノのYoutube)、岡崎朋美選手(同)が活躍した長野五輪に思いを馳せます(400mダブルトラックのある巨大な施設)。
長野五輪スピードスケート会場として建設されたもので、当時は外見も紹介されましたが、近ごろは、小平奈緒、高木美帆選手たちの活躍にフォーカスするため、その姿を見かける機会も少なくなりました。
長野新幹線は、長野五輪前年の1997年に開通しますが、2015年金沢駅まで開業の際に北陸新幹線とされ、長野新幹線という名称は消滅しました。
長野五輪スピードスケート会場として建設されたもので、当時は外見も紹介されましたが、近ごろは、小平奈緒、高木美帆選手たちの活躍にフォーカスするため、その姿を見かける機会も少なくなりました。
長野新幹線は、長野五輪前年の1997年に開通しますが、2015年金沢駅まで開業の際に北陸新幹線とされ、長野新幹線という名称は消滅しました。
追記──世代交代は突然に
絶対王者とされた体操 内村航平選手のアクシデントはショックながらも、トップを競う選手たちは、ライバル以上にケガの恐怖と闘っていることに気付かされます。
以前、内村選手が語った「地獄」の言葉には、連覇を重ねる度に重圧が増していく苦しさが込められていました。
ですが、今回の事態を真っすぐに受け止める白井健三選手には、内村からのバトンを引き継ぐ覚悟ができていたようなので、焦ることなく東京五輪までに世代交代がとげられるよう応援せねばと。
絶対王者とされた体操 内村航平選手のアクシデントはショックながらも、トップを競う選手たちは、ライバル以上にケガの恐怖と闘っていることに気付かされます。
以前、内村選手が語った「地獄」の言葉には、連覇を重ねる度に重圧が増していく苦しさが込められていました。
ですが、今回の事態を真っすぐに受け止める白井健三選手には、内村からのバトンを引き継ぐ覚悟ができていたようなので、焦ることなく東京五輪までに世代交代がとげられるよう応援せねばと。
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