2016年10月8日土曜日

地元の誇りを守る──木曽路

2016.9.26【長野県】──「木曽路を歩く_2」

 以前、隣の天竜川(飯田線)沿いを走った際、落石や険しい峡谷の緊張感から、ヘトヘトになった記憶があります(若い時分は長い距離を走っていたし…)。
 今回の木曽川・中山道(中央本線)沿いには古くから宿場町が整備され、不安なく走れるのは主要街道のおかげと、旅人が行き交った時分に思いを馳せます。




 上は道の駅 奈良井 木曽の大橋で、冬季は閉鎖されるためか売店はなくトイレだけですが、自治体は「総檜造りの太鼓橋」と胸を張ります。
 橋のふもとで写生する老人が、「こんな橋を作るより…」と毒づくのも分かりますが、わたしを含め観光客の関心を引くシンボルに違いありません。
 「橋はこんなもん?」の印象でも「宿場の町並みは素晴らしい!」と満足すれば、広告塔の役目を果たしたのではないか? 橋がなければスルーしたかも知れませんし……

 難所とされた鳥居峠は、北側の信濃川水系(→日本海)と南側の木曽川水系(→太平洋)を分ける中央分水嶺にあたるも、北側の奈良井・贄川(にえかわ)宿は木曽路 十一宿場とされ、南側の木曽に帰属意識を持ちます。
 国ざかいの山間地では線引き争い(美濃と信濃の綱引き)が絶えなかったが、江戸時代に尾張藩(南)とされ、現在は馬籠(まごめ)峠まで長野県とされます。

 右は「鍵の手:クランク状の道」にある荒沢不動。連続テレビ小説『おひさま』のロケ地(安曇野・松本が舞台)で、「いい場所」と思ったはずも記憶から消えている……

 出発前は台風や天候不順で気温の低い日が続くため、山間地向けの暖かい服を選ぶも(半袖を持たず)暑さが戻り、右のひさし(小屋根)で日差しを避けていました(彼岸を過ぎても夏が終わらない…)。
 小屋根は蚕の養殖に由来するらしいが、旅籠では雨宿りする旅人の客引きに利用されたのではないか?
 わたしなら、雨を理由に早々に行程をあきらめ、宿でひとっ風呂浴びて「とりあえずビール?」と、罠に飛び込みそうです……
 右は元櫛問屋の中村邸。


興禅寺:木曽福島


 「京都に負けない!」と驚いた立派な庭園は、山間地に広がる雲海をイメージし昭和期に造園されたもの。
 ここは、鎌倉建長寺の僧侶を招き、木曾義仲の追善供養として建てらた臨済宗の禅寺(1434年 木曽三大寺の一つ)ですが、度重なる大火を受け、国宝とされた平安様式の門(焼失後復元)、門付近にある枯山水の庭(入った途端に目を奪われた)など、ほとんどが再建された施設(下の江戸期に造られた庭は当時の姿らしい)。


 地元のヒーローである木曾義仲は、平氏を京都から追い出し一時は征夷大将軍となるも、評判の悪さ(政治力不足)から人望を失い源 義経軍に破れます。
 その後家系は絶えたとされるも、戦国時代の木曾氏が義仲の子孫を名乗ったように、時代を超えて地域の誇りとされ、菩提寺を守らねばとの強い意志を感じます。
 庭園に感銘を受けるのは、住民の願いが込められるためと……


寝覚(ねざめ)の床:上松(あげまつ)


 こんな山中で、浦島太郎伝説に出会うとは想像もしませんでした。
 竜宮城から戻った太郎は、周辺の景色や人も変わり居場所がないため旅に出て、正面の平らな岩の上で玉手箱を開き、白髪の爺さんになって目覚めた、と伝わるそう。
 ですが、上流の木曽ダム建設(1968年)による水位低下で水中の岩が現れたそうで、以前の水位は判別不能→伝説の真偽は不明ながらも、景勝地であることは確かです。


岩出観音:須原


 ガイドブックに載っておらず、ネットで見かけた写真頼りに探しました(付近の案内板も小さいこと)。1983年に修復されるも、近くで見るとかなり枯れた印象のため、舞台に上がっても縁には立てませんでした(結構高いし、下は道路)。
 平坦地は少ないが木材はあるので、見晴らしのいい場所にお堂を造れば拠り所になるとのもくろみは、景色の良さから人心を集めたようです。
 紅葉雪の季節こそ絵になりそう(信州にはこの手の建造物が多いらしい)。


桃介橋:南木曽(なぎそ)

 右は、1922年(大正11年)建設の木造の橋(支柱はコンクリート)で、読書(よみかきという地名:学校があったか?)発電所の建設資材運搬路として架けられ、真ん中にレール跡が示されます。
 橋の名称は、周辺の水力発電所建設により「電力王」とされた、福澤桃介(福沢諭吉の婿養子)による。
 床板の隙間から見える川にゾッとしながらも、歩かねば実感に残らないと往復します……

 付近の山は神宮備林(伊勢神宮の式年遷宮用のヒノキ確保、育成を目的とした地域)で、森林鉄道が通されますが廃止後は観光用トロッコが走ります(未見)。

 翌日、御嶽山麓の木曽町では、御嶽山の噴火(2014年)による犠牲者を悼む合同慰霊祭が行なわれました。


追記──大隅良典教授 ノーベル医学生理学賞を受賞!

 素人の印象で大変失礼ながら、細胞の基本的な活動(オートファジー)とされるものが、27年前まで発見されなかったことに驚きました。
 「食べなくてもしばらく生きられる」ことの証明に納得し、がん細胞を弱める研究が進んでいることに希望を抱きます。
 ノーベル賞を受賞した先生方は、近ごろの受賞ラッシュは20〜30年前のバブル期の研究成果によるもので、これからもノーベル賞級の成果を期待するためには、現在の研究環境をバックアップする社会的な取り組みが必要、との啓蒙に尽力されています。
 われわれにも、未来の糧となる遺産(希望)を残したい! 気持ちはあるので、可能な部分で協力させていただきたいと……

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